新潟県月潟村は信濃川支流の中の川沿いに位置し、川の運んできた泥水により肥沃な沖積土壌により、稲作や梨の栽培に恵まれた環境にあります。

それでは、これから月潟村をご紹介いたします。






























 国指定天然記念物(昭和16年11月13日指定)

 月潟の梨の栽培の歴史は古く、文化年間(1804〜17年)大別当「深沢剛蔵氏」が、上総国より梨苗「類産」を求め始まりました。
 その原木が現在も大別当「深沢家」の梨畑にあり、「類産梨」として国の指定を受けています。  現在も400個ほど(100kg〜150kg)の果実が毎年収穫され、翌年6月頃まで貯蔵でき、村の業者により「梨ようかん」にも加工されています。
樹の大きさ/根本まわり2.4m・高さ1.8m
枝の広がり/東西13m・南北16mの8本の大枝
開花/例年4月下旬頃
収穫/例年10月下旬頃





 毎月2と7のつく日に開設。
歴史は古く、開設は250年前にさかのぼると言われています。
朝市には、野菜、果実、雑貨にまじって魚類や衣料品など販売され賑わいをみせます。





 角兵衛獅子の発祥の年代は不明ですが、天明元年(1781年)2月、月潟本村庄屋より石瀬代官所(現在の岩室村)へ提出された「越後国獅子踊由来」によれば、「月潟村にて受け継ぎ候も古来よりの事にて由緒等その昔焼失致候由、申伝へのみに候・・・」とあります。

 ただ、言い伝えに「角内・角助兄弟による父角兵衛の仇討ち」とも「海抜わずか1.2メートルの湛水地帯で、当時数えきれないほどの洪水に苦しみ、農民角兵衛が生活救済のため創業した」とも伝えられています。  江戸時代、角兵衛獅子の卓越した芸能は、京都や江戸では、年の始めの慶祝行事となり、また文化8年(1811年)に杵屋六左衛門が長唄「越後獅子」を作曲し、ほかにも常磐津などに取りあげられ、当時、いかに大衆に喜ばれたか伺うことができます。
 全国を渡り歩いた角兵衛獅子も時代の波に流され、明治末年には本場月潟からも姿が消えました。
 古い伝統ある芸能の滅亡を惜しみ元村長故青柳良太郎氏が昭和11年保存会を設立し後継者養成に努力され、現在伝統芸能として受け継がれています。






■満徳寺「経堂」大別当
 下層は和様を基調とし、上層は唐様を主として構成されています。
 材質は全て欅で、手のこんだ彫刻が施され、中には回転式の輪蔵があり阿彌陀如来像が祀られています。経堂としては新潟県内でもかなり優れたものと定評があり、棟札に天保13年(1842年)9月19日と記されています。
(御開扉 毎年8月27、28日)





 ■木造阿彌陀如来立像 上曲通

本躯木造桂材1本造り、バランスのとれた頭体で、品性高く尊厳な表情をたたえています。木どり法や彫法からみて、室町時代初期の作と考えられ、仏像として貴重なものとされています。(像高 61.5cm)











  
農村環境改善センター内にあり、角兵衛獅子に関する資料をはじめ、月潟手打鎌の製造過程や旧農具を展示紹介しています。

 また、ビデオによる角兵衛獅子の舞、手打鎌の製造工程なども放映しています。 ところ:月潟村西場「農村環境改善センター」内 開館:午前9時〜午後7時(無料)火曜日〜金曜日 午前中 要予約 休館日:毎週月曜日 年末年始 お問い合わせ:(025)375-5500